二人部屋の秘密・最終章

  最近、姉・怜美(さとみ)の様子がおかしい。
  突然自分の部屋を片付け始めたかと思うと、次の瞬間には「はあっ」というため息交じりの声とともに持っていたものをそこいらにぽいっと放り投げ、挙句の果てには自分もころんと寝転がり、そんなに広くない(人一人が寝るだけで精一杯な)部屋の中をごろごろ転がってうなっている。
  その光景は、同じ部屋でいつも怜美を見ている瑞穂(みずほ)にとってかなり不可解なものだった。
〈……夏休みだから、だろーか?〉
  最初、瑞穂はそう思った。
  確かに、怜美がこんな行動をとるようになったのは大学が夏休みに入った八月初旬からだった。
〈よっぽど暇なのか?〉
  確か、大学に入ったばかりだった去年の夏休みは、自動車の免許を取るために姉は結構忙しくしていた。それに比べて今年は別にこれといってすることがない。
〈無趣味な奴め〉
  瑞穂はしばらくの間その理由で納得していた。
  だが。

  おかしい、と瑞穂が本気で思ったのは、それから数日後のことだった。
  その日、ふと、『姉の部屋』を覗いた瑞穂は自分の目を疑った。
  姉の部屋からかなりの物が消えていたのだ。
  大体、『姉の部屋』といっても、八畳程の洋間を瑞穂と二人で使うために机や本棚などで仕切って作った、本当に狭っ苦しい空間である。もちろん、そこに置ける物の量も数も限られている。
  その中で、本棚にあった大小の本や机の上の飾り小物などが殆ど無くなっているではないか。
〈え、なんで……〉
「つーか、いつの間に……?」
  瑞穂は瞳をぱちくりさせて呟いた。
  まあ、高校も夏休みとはいえ、部活などで週五日も学校に行っている瑞穂だから、そう頻繁に姉の様子を観察していたわけではないのだが、それでもやはり、いつの間に、という感は拭えない。
  そして、これだけのものを何処に、何の為に持ち出していったのかという疑問も。
  しばらくそのことに思いを巡らせていた瑞穂は、やがて一つの考えに行き当たりはっとして口を押さえた。
〈……まさか!〉
  姉は、怜美は大学の近くへ引っ越すのではないだろうか?
  瑞穂はその考えを打ち消すように首を振った。
〈そんなわけないじゃない!〉
  しかし、思い当たる節がある。
  怜美は毎晩寝る前に母の肩揉みをしているのだが、その時、母と何か『秘密の話』をしているようなのだ。その話の全部を聞いた訳ではないのでよくは分からないが、部屋のことだとか机のことだとかを話していたようだった。
  それと今の状況から類推すると、姉がこの家を出ていくことが確実なことのように思えてくる。
  もちろん、そうするほうが姉のために良いということは瑞穂にも分かっていた。
  今怜美が通っている西都大学はこの家から車でも一時間はかかるところにある。毎日の負担を考えれば、大学の近くに引っ越すことは怜美にとってはとても楽なことに違いない。それに、いくら他人に無関心で非常に無口な怜美でも、同年代が殆どいないこの町よりも大学のある町にいたほうが色々と楽しいのではないだろうか。
〈……でも……〉
  瑞穂としては、もうしばらくは怜美に家にいて欲しかった。
  怜美がいなくなると今まで姉がやっていた家事全般が瑞穂に押しつけられるのは目に見えていた。
  それに……。
  口には出したくないが、やはり、今はまだ、姉にいて欲しかった。

  そして、ある晩。
  寝る前に水を飲もうと洗面所に立った瑞穂は、リビングのほうから聞こえてくる母と姉の声にはっとして耳をそばだてた。
  何かもっと具体的な情報が聞けるかもしれない。
  瑞穂は忍び足でリビングに近づくと、閉じていたリビングのドアにそっと耳を押し当てた。
「……父さんがね、古いパソコンあげるって」
  母の声だ。
「本当?  やったぁ!」
  怜美の嬉しそうな声も聞こえる。
「……でも、本当に良いの?」
「ええ、もちろん。あなたにはだいぶん苦労をかけているから」
  どうやら、怜美の『家を出る』相談らしい。
「……ねえ、母さん」
「なあに?」
「みずは、どう思うかな?」
「あら、喜ぶんじゃない。四六時中姉の顔を見なくてすむって」
  確かに、一人部屋は瑞穂がずっと願っていたことだ。
  が……。
  瑞穂はもう、居ても立ってもいられなくなった。
  やにわにリビングのドアを勢いよく蹴り開けると、二人の間に飛び込んで叫ぶように言った。
「怜美姉、どっか行っちゃうの?」
  瑞穂の言葉に、母と姉はぽかんと口を開け、リビングはしばらくの間静寂に包まれた。
  やがて。
  くすっという笑い声が怜美の方から聞こえてきた。
「やーねー。なに誤解してんのー」
  母もくすくすと笑っている。
「部屋を移動するだけよ」
  瑞穂は自分の顔が真っ赤になるのを感じた。

  その後の怜美の話によると。
  怜美と瑞穂二人が使っている部屋の隣に、予備の部屋として使っている六畳の和室がある。そこを新しい『姉の部屋』とし、二人部屋の方を瑞穂だけの部屋にしようという計画を父と母と怜美の三人で立てていたらしい。
  それを聞いて、瑞穂は内心ほっとした。
「……でも、なんで私に一言の相談も無いわけ?」
  散々心配した分、怜美をなじるのも忘れなかった。
「するつもりだったよ。前日に」
  そして、こんな返事を返した怜美に蹴りをいれる元気も又残っていた。

  とにもかくにも、こうして、怜美が新しい部屋に引っ越しをする日がやってきた。
  その日は朝から大忙しだった。
  まず、新しく『姉の部屋』となる六畳の和室に掃除機をかけ、怜美の持ち物を全部移動させる。
  怜美の部屋の小さな物は前もって新しい部屋に移してあったとはいえ、姉の本棚と押し入れダンス、そして机を移動させるのは結構骨の折れる作業だ。それらの家具を家族全員で全部隣の部屋へ移動させる。
  姉の部屋を整えた後はいよいよ『瑞穂の部屋』の方を綺麗にする番だ。
  瑞穂はわくわくして『自分の部屋』を見渡した。
  姉の物を全て退けた後の『二人部屋』は、瑞穂が思っていたよりもずっと広々としていた。
  それを見ていた瑞穂の胸が少ししゅんとなった。
  さっきのわくわくは何処へ行ったのだろう。
「……こんなに、広い部屋だったんだね」
  隣の部屋から掃除機を担いで来た怜美が瑞穂の後ろでそう呟いた。
  瑞穂の気持ちを知ってか知らずか、その声は微かに沈んでいる。
「……うん」
  今更ながら、二人部屋の広さを瑞穂は認識した。
  そして、ちょっぴりの淋しさも。
  瑞穂がそんな気分に浸っていたとき、机の横に掃除機を置いた怜美が瑞穂に手招きをした。
「……ね、みず」
「ん、何?」
「机動かさないの?」
「え、何で?」
  ベッドの横に机。これが瑞穂の好きな配置である。
  だから、春頃に模様替えをしたときから、タンスやカラーボックスは動かしても机だけは動かすまいと心に決めていたのだ。
  そんな瑞穂の想いとは裏腹に、怜美は机を動かすことを主張した。
「だから、何で動かしたほうがいいの?」
  姉のアドバイスに、瑞穂は不審な顔をした。
「うん、……ちょっとこっち来て」
  怜美は瑞穂の腕を取って机の裏側に連れて来ると、机の下の方を指差した。
「ほら、ここ」
  怜美が指差した場所を見て、瑞穂はあっとなった。
  瑞穂の机の上二つの引き出しの中身が丸見えだったのだ。
  瑞穂が今までしっかりと隠していた親に見つかるとやばい漫画や同人誌がしっかりと見えている。
「な、何これぇ」
  瑞穂は驚きの声を上げた。
「……見えるだけじゃないんだよ」
  怜美は少し照れたような声で言った。
「物差しで取れるんだ、これ」
「え、うそっ!」
「ほんとだよ」
  そのことを証明するように、怜美はそこらに転がっていた瑞穂の製図用物差しで漫画を一つ引き出しの裏からするするっと取ってみせた。
「ねっ」
  今までどうして気がつかなかったのだろう。
  これではわざわざ鍵を掛けて隠している必要がないではないか。
  危ないことである。
  この事が分かった以上、引き出しの中の物が他人の目に触れないように机は壁に寄せておく必要がある。
  瑞穂は一人で机を押し、壁にぴったりとくっつけた。
「……でも、よく気づいたよね」
  少し息を切らしながら瑞穂はそう言った。
「うん、一回やったことあるから」
「ふーん、……って、やったんかいっ!」
  姉の言葉に、瑞穂の自慢の蹴りが爆発した。

  その日の夕方になって、やっと移動が一段落ついた。
  瑞穂の部屋は、今まで部屋を区切っていた大きなタンスやカラーボックスを全部壁の方にくっつけた為、今までよりごちゃごちゃした感じがなくなったし、怜美の部屋の方は普通の机の他にパソコンがでんと乗っかった机まで置かれ、さらに理系らしい部屋になっている。
  姉の部屋はもっとかわいくできないのかな、と瑞穂は思ったが、怜美はシンプルな部屋で満足らしい。
  ま、これは瑞穂がどうこう言うことではないだろう。
「……ところで、さぁ」
  落ち着いたところで、瑞穂は前々から聞きたかったことを怜美に聞いてみた。
「半年前に買ったシャンプーやなんかはどこに隠したの?」
  ある冬の午後、ゲームをお預けにしてまで探したシャンプーの小瓶やその時出て来た音楽雑誌の山のことを瑞穂はよく覚えていた。今日の移動ではそのようなものは全く出てこなかったので、多分昨日までにこの部屋に運び込まれたものと思うのだが、いったい何処に隠したのだろう?  瑞穂にはそれが不思議で非常に気になっていた。
「まだ探してたの?」
  怜美は呆れたような口調で瑞穂に答えた。
「うん、で、どこにあるの?」
  瑞穂の言葉に、姉はにやっと笑って言った。
「教えなーい!」
  又瑞穂の蹴りが飛ぶ。が、
「甘い!」
  怜美はひょいっと身をかわした。
「あんたの行動はお見通しだよ」
  だが、読みは瑞穂のほうが素早かった。
  姉が避けることを見越していた瑞穂はいったん足を下ろすと、怜美がほっとしたときを見計らって再び後ろから蹴りを入れた。
「いったぁ!」
  足を押さえて呻く怜美。
  瑞穂はそんな怜美を見て心の中で密かにガッツポーズをした。
  ま、ともかく、部屋はもう別々になったので、これからはこうるさい姉貴と一日中同じ部屋で顔を突き合わす必要がなくなった。
〈ま、よかった、よかった〉
  さっさと怜美を部屋から追い出すと、瑞穂はにこにこと『自分一人の部屋』を満喫した。

  ところが、瑞穂が思うほど簡単には「一人部屋でのうのうと過ごす」事にはならなかった。
  その日の夜、さあ寝ようかという時になって怜美が布団を担いで瑞穂の部屋に現れたのである。
  瑞穂は当然抗議した。
「ちょっと、なんでこっちに来るのよ!」
「暑い」
  姉は一言だけそう言うと布団を敷き始めた。
  確かに、八月も半分以上過ぎたとはいえ夜もまだ暑いし、瑞穂の部屋にはクーラーが付いているが怜美の部屋には付いていない。しかし、だからといって瑞穂自身は怜美に自分の部屋で寝てもいいと許可を出した覚えはない。
「自分の部屋で寝てよ!」
「やだ」
  瑞穂の小言に耳を貸さず、怜美はどんどん布団を敷いていく。しかもついでだといって瑞穂の布団まで自分の布団の横に敷きだした。
「……姉貴」
「何?」
「あたしはベッドで寝るんだけど」
「まあいいじゃない」
  そう言いながら姉は素早く布団にもぐり込んだ。
「ほら、瑞穂も」
  怜美は隣の布団をポンポンと叩いて瑞穂を呼んだ。
「……分かった」
  今更布団を敷き直すのも面倒だし、ま、いっか。
  瑞穂は半ば呆れながらもそのまま姉の横の自分の布団に入った。
  二人で枕を並べて寝るなんて何年振りのことだろう。
  ま、何でもいいから早く寝てしまおう。明日も部活だし。
  そう思って目をつぶった瑞穂の耳に、姉のささやき声が入ってきた。
「みず、一人部屋って淋しくない?」
「えっ?」
  瑞穂が姉の方を振り向くと、怜美は少し照れ臭そうにへへっと笑った。
「本当はねぇ、私、一人で寝るの淋しかったんだ」
  大学生の癖に何を言う。
  瑞穂は呆れ顔で怜美に背を向けた。
  姉の呟きはまだ聞こえてくる。
「でもさ、私もみずも、そのうちここを出て、一人で生活しなきゃいけないのよねぇ」
  その言葉は瑞穂の心をグサッと刺した。
  それは、怜美がここを出て行くのではないかと心配した瑞穂がしばしば考えていたことと感じが似ていたからだ。
〈それは、そうだけど……〉
  瑞穂はぎゅっと目をつぶった。
〈今は、まだ、いやだ……〉
「……私は、嫌だけどさ」
  怜美は最後にそう呟くと、後は何も言わなかった。
  おそらく眠ってしまったのだろう。
  しかし瑞穂は、怜美のこの言葉に何だかほっとした。
  少なくとも姉は今のままが良いと思っている。
  そう確信した瑞穂は、くかくかと寝息を立てている姉を見てにこっと笑うと、布団を頭からかぶりそっと目を閉じた。

  こうして、二人部屋の夜はゆっくりと更けていくのであった。

(終)
2002.12.9.  風城国子智(作者の現状と若干の注意)

WindingWind 風城国子智