『教え子』三景

文字を教える —明日の風に—
「あーっ、もう」
 思わず、声を荒げる。
 だが。灰の入った浅い箱の中で禎理を見上げる小さな魔物、キイロダルマウサギの模糊が見せた戸惑いの表情に、禎理は唇を閉じ、心の中で十まで数えた。文字を書く禎理を真似るように、模糊が木の枝をその小さい両腕で掴んだのが、三日前。文字を教えてみたらどうだろうかと気まぐれを起こしたのは、禎理自身。
 自分だって、文字を習い始めた幼い頃は、魔力を帯びた複雑な線文字がどれも同じに見えた。しかしそれでも、今はきちんと、古代の魔法文字を書くことができる。ゆっくり、やればいい。禎理に文字を教えてくれた母方の大叔母を思い出しながら、禎理は模糊の、灰にまみれた柔らかい毛をそっと撫でた。


教え子の来訪
「センセ、おひさっ!」
 いきなり現れた三年前のゼミ生にも驚いたが、彼女が連れて来た赤ん坊にも驚いてしまう。彼女が卒論を書いて卒業したのはつい先日だと思っていたのに、もう結婚して子供もいるとは。いや四十にもなって恋人の一人も見当たらない自分の方が普通ではないのか。母になったことがないのにいきなり祖母になったような気がして、恵子は小さく微笑んだ。
「抱いてみる、センセ?」
 かつての教え子の屈託のない笑顔に、笑って首を横に振る。結婚よりも勉学を選んだ、子育てを知らない自分がこんな小さなものを抱いたら、壊してしまいそうだ。もう一度首を横に振り、恵子は母親の腕の中で幸せそうに眠る赤子を見詰めた。


画面の向こう
 画面の向こうで翻る鮮やかな袖に、微笑む。
 『卒業式』だから、どうしても着たかったんだ。楽しげなボイスとともに送られてきた映像は、直接会ったことのない、教え子のもの。
 生活の全てがインターネットを通じて営まれる時代。もちろん学業も、オンラインで事足りる。学びたいと思う時に学び、学び終えれば卒業。入学式や卒業式は、過去のもの。それが寂しいと思う者もいるのだろう。別モニタに映る、昔の教室を模した画面には、振袖袴姿のアバターがいくつも見えた。
 画面の向こうにいる者達のうち、生身の人間は何人いるのだろうか? そう思い、唇を歪める。そう言う、自分だって。思考一つで閉じた画面に、『教授』は小さく息を吐いた。
 

(終)
2016.5.6.  風城国子智(作者の現状と若干の注意)

WindingWind 風城国子智