拾い、拾われ

 目を開けると、暗い背景に服の青色がくっきりと、見えた。
 その服に白色で描かれている紋章を認識するや否や、ハルは身体の揺れに構わず飛び起き、鋭い魔法を放った。
「うわっ!」
 狼狽の声を背に、暗い場所の向こうに見えた光の方へ飛び移る。一瞬だけ宙に浮いた身体は、しかしすぐに固い土に落ちた。
「痛ったぁ」
 口の中に感じた鉄気に、呻く。だが、ここでぐずぐずしているわけにはいかない。腹から全身に広がる痛みを無視して、ハルは無理矢理自分の身体を立たせた。
 と。無理矢理立った所為か、目の前が、回る。
 倒れかけた身体が、何か細い物に支えられたことだけは、辛うじて分かった。
「大丈夫か?」
 背後から、太い声が聞こえてくる。
「うん」
 すぐ側で聞こえたのは、本当に小さな声だった。
「全く、走る馬車から飛び降りるなんて、無茶するなぁ」
 心底呆れた響きと共に、視界が土の茶色から空の薄青に変わる。支えも、先程よりはしっかりしたものに、変わった。
 ここから、逃げなければ。頭はさっきから警告を発している。だが、身体が、全く言うことを聞かない。あっという間に、ハルの身体は先程の暗い空間に戻された。
「幌が、破けてるぜ」
 ハルを暗い空間――幌を掛けた馬車の荷台――に戻した太い声が、溜め息をつく。
「ティア、怪我は?」
「大丈夫」
 太い声に続いて、細い声が、ハルの心に不安に響いた。
「本当か? 下手に怪我したら俺がヴァリスに怒られるんだからな」
「うん」
「まあ、良いか。暗くなる前にヴェクハールに着かなかったらそれはそれで怒られるわけだし」
 ハルの心中には全く関係無く、会話は続く。
 程なくして、ハルが横たわる空間は再び連続した揺れに襲われた。
 ヴェクハール。太い声が呟いた言葉を、恐れとともに反芻する。ヴェクハールは、最高神スーヴァルドを祭る聖堂都市。太古以来この世界を守り続けていると云われているスーヴァルドの残酷さを、ハルは知っている。母の違う幼い兄達が殺される原因となった神であり、未だに母をあの北の地に拘束し続ける神なのだから。そんな神を信仰する場所に、連れて行かれるはめになるとは。動かない身体に、ハルは低く、嗤った。先程、ハルが逃げようとしたのは、小さな影が身に付けた青い袖無し服に描かれた紋章がスーヴァルドの物だったから。
 と。ハルの横にいた、その小さな影が、不意にハルに被さる。殺される! ハルは無意識のうちに、影が伸ばした小さな手を魔法で強く叩いた。
「痛っ」
 小さな声が、響く。腕を引っ込めた小さな影の、袖口が暗く濡れるのを、ハルはただ、見詰めた。
「どうしたっ!」
 すぐに、太い声が割って入る。今度こそ、殺されるか? ハルは思わず身を固くした。だが。
「……大丈夫」
 再び、小さな声が、暗い空間に響く。
「そうか」
 緩まった揺れは、再び元の調子へと戻った。
 コイツ、は。血に濡れた腕を庇ったまま自分を見詰める紅い瞳を、まじまじと見詰める。よく見ると、目の前の影の、左肩も、僅かに削がれた服の周りが黒く染みになっているのが分かる。コイツは、ハルが二回も傷付けようとしたのに、何故、黙っている? ヴェクハールの、スーヴァルドの神官なのだから、自分の敵なのでは、無いのか?
「何を、怖がっているの?」
 小さな声が、ハルの耳を叩く。
 じっと見詰められているのに気付いたのか、影はハルに向かってにこりと、笑った。
「僕は、味方」
 騙されるな。脳裏の警告が、響く。彼は、コイツは、……敵だ。
 と。
「うぉっとぉ!」
 馬車が一瞬だけ大きく揺れ、止まる。
「ここで『影』のお出ましとは」
 太い声と共に、太い腕がにゅっと幌の中に現れ、床の戦斧を取るのが、見えた。
「『影』!」
 先程までハルを見詰めていた小さな影も、緊張を残して幌の中から飛び出す。
 ハルは無理矢理その身を起こすと、小さな影な飛び出した後からそっと外の様子を窺った。
 短剣を構えた影――まだ小さい、少年だ――の前に三つの大柄な人影が、見える。その大柄な身体の後ろが黒くぼやけていることに、ハルは戦慄を禁じ得なかった。これは、……何だ? 今まで見たことも、聞いたことも、無い。
 ハルが驚愕している間に、人影の一つが小柄な少年に覆い被さる。だが、ハルがあっと思う間もなく、少年は人影をひらりと躱し、その腹に蹴りを入れて黙らせた。
「すごい!」
 思わず、声が出る。
 だが、ハルのその声が、人影達を怒らせてしまったらしい。残りの二つの人影が一緒になって少年に襲い掛かった。いや、一体はハルの方へ向かっている。
 驚愕から覚めれば、がむしゃらな攻撃などハルの敵ではない。
「消えろ」
 静かな声と共に、ハルは指先から鋭い光を出した。
 その光が、影の胸から背へと抜けたのが見える。
 ハルに辿り着く前に、影はどうと、倒れた。
「殺したの?」
 詰るような声に、高揚が消える。
 ハルの目の前には、髪も顔も真っ白な少年の、強い紅の瞳の光が、あった。
「しかたないだろ」
 ハルが何か言う前に、太い声が割って入る。
「殺さなきゃ、殺される。そういう時もあるんだ」
 そういって現れた大男の、手にした戦斧も、暗い赤に濡れていた。
「そう、だけど」
 大男の声に、少年が目を伏せる。
「でも、『影』に操られていただけだよ。『影』さえ、なければ」
「なくっても、人を襲いそうな奴らっぽいけど」
 倒した人影の、いかにも賊っぽい身なりに、ハルは思わず皮肉を口にした。
 だが慌てて、口を抑える。
「うん……」
 少年が再び俯いたのと、今度は大男が詰るような瞳でハルを見たのが、分かったから。
「ま、まあ、ともかく。『影』は祓った方が良いな」
 だがすぐに、大男は肩を竦めてハルから視線を外すと、呻いている、少年が倒した影達の方を指差した。
「そう、だね」
 まだ俯いたまま、少年が細い声を出す。だがすぐに、少年はキッと顔を上げると、高らかな鐘のような声を、出した。
 少年が紡ぐ歌に、聞き惚れる。しかしすぐに、ハルの興味は歌ではなく倒れている影の方へと移った。
〈……おや?〉
 山賊然とした身体に、張り付いたように蠢く黒い靄のようなモノが、少年の歌に合わせて震えているのが、見える。そして。ハルの見ている前で、その、どうやっても取れそうになかった靄が、空気に溶けるように、消えた。
「綺麗だろ、ティアの歌」
 ぽかんと口を開けたままの横で、大男が解説する。
 最近、森の中から現れ、人に取り付いてその人を狂わせる『影』。その影を祓えるのは、ヴェクハールに昔から伝わる『呪歌』だけ。その『呪歌』を、ヴェクハール中で一番上手く歌えるのが、ハルの目の前にいる、ティアと言う名の銀髪紅眼の、消えそうな程に儚げな少年。
「あの『影』、な」
 歌う少年に見とれるハルに、大男は驚愕することを口にした。
「アンタにも付いてたんだぜ」
「はいっ?」
 思わず、大声が出る。あんなものが、あんな汚い黒いモノが、この俺に?
「幸いなことに、倒れているところをティアが見つけて祓ったから、大事には至らなかったが」
 唖然とするハルに、大男はにっと、笑った。
 大男の言によると、この『影』という代物は、心の弱った人間に付き易いという。
〈俺が、弱い?〉
 思わず、むっとする。だがしばらく考えて、ハルはふっと、嗤った。スーヴァルドに、その強大な力に怯え、北の国を逃げ出し、善意から助けてくれた少年を傷付けた。十分『弱い』ではないか。
 不意に。森中に響いていた歌が、止む。
「ティア!」
 血相を変えた太い声が、頽れる少年の小さな身体を抱き留めた。
「また、ヴァリスに怒られる」
 溜め息をつきつつ、大男が少年を馬車に乗せる。
「ヴァリス、って?」
「ティアの保護者。コイツに何かあるとすぐ怒る」
 心底呆れた大男の言葉に、ハルは不覚にも笑ってしまった。
「笑い事じゃないぜ」
 笑ったハルに向かって大男が吐いた言葉も、呆れつつ笑っている。
「行こう。ぐずぐずしてると暗くなる」
 アイツらは一晩放っといても大丈夫だろう。大男の言葉に、頷く。
 そしてハルは、ぐったりと横たわる少年と共に、馬車に揺られた。
 そっと、汗をかいた少年の額に、触れる。よほど体力を消耗しているのだろう。ハルが触れても、少年は身じろぎ一つしなかった。
「体力を多量に使うのが、『呪歌』の悪いところさ」
 暗くなりつつある森の中、馬車を急がせながら、大男が呟く。
「体力の無いティアには、負担でしかないんだが」
 それでもティアは、『呪歌』を歌うのを止めない。自分が、役に立っているのが嬉しいから。前に言われたという少年の言葉を、大男は諦めと共に口にした。
「ま、誰にも止められない、ってところさね」
「ふーん」
 この、穏やかそうな少年に、そんな強情な部分があるとは。もう一度、少年の額を撫でる。しかし確かに、山賊を殺した時のあの詰るような紅い光は、少年の強情さを裏付けるのに十分な威力を持っていた。
 少年の額に触れた右手から、優しい光を発生させる。回復の魔法が、少年の全身を包んだ。
 すぐに。
「……あ」
 少年が、目を開く。
 弱く穏やかな紅い光に、ハルはにっこりと、笑った。

(終)
2013.2.4.  風城国子智(作者の現状と若干の注意)

WindingWind 風城国子智