細い指

 太い雨の向こうにようやく見えた冷たい扉を、小さな拳で叩く。だが、雨音に掻き消されているのか、それともフィンの扉を叩く力が弱過ぎるのか、重厚な扉は中々開かなかった。
「……誰?」
 ようやく、軋む音を立てて扉が開く。
 開いた扉の向こうには、フィンが知らない、背の高い青年が立っていた。
「君、は?」
 フィンを見て、その深い瞳を大きく見開いた青年が、フィンの細い腕を取って屋敷の中に入れてくれる。
「濡れたままでは、風邪をひいてしまう」
 繊細に見える指で水の滴る上着を脱がされ、青年が羽織っていた上着を着せかけられて初めて、フィンは自分の身体が奥底まで冷え切っていることに気付いた。
「こんな雨の中、わざわざ訪ねてくるなんて」
 意外にしっかりとした青年の腕に抱えられるように連れて行かれた暖炉の前で震えるフィンの耳に、聞き慣れた音が響く。
「車の音が聞こえましたので、確かめて来いと言われました」
 その、既知の相手、森に囲まれた村の外れに建つ屋敷を別荘として使っている貴族の息子、ルフに、フィンは俯いたままそう答えた。
「こいつは、フィン。村の教会の手伝いをしている。薬草術と医術も少々かじっているらしいから、村では重宝されているらしい」
 そのフィンの横に、ルフが件の青年を連れてくる。
「こう見えて俺達よりずっと年上なんだぜ」
 炎の前でも中々温まらない身体を際限無く震わせながら、フィンは今度は落ち着いて、青年を静かに見詰めた。
「私の名前はカイ。ルフと同じ大学で歴史を勉強している」
 自己紹介とともに差し出された、細い指を持つ手に触れるのを、一瞬躊躇う。黄金の髪にも、フィンを見て微笑む様にも、フィンを暖炉の前まで引っ張ってくれた確かな腕にも、好感しか覚えない。それでも。目の前にある滑らかな指に微かに触れてから、フィンは震えを隠す為に暖炉の火の方に顔を向けた。
「フィンはこの辺りの伝説にも詳しいから、暇な時に話を聞くといいさ」
 俯くフィンの耳に、あくまで暢気なルフの声が響く。フィンの態度に対するカイの表情を確かめることが、フィンにはどうしてもできなかった。

 次の日。
 借りた着替えを返す為に再び屋敷を訪れたフィンは、ルフとカイの二人が屋敷の裏手でテニスに興じている姿に目を細めた。
「もう少し手加減しろよ、カイ!」
「断るね」
 どうやら客人であるカイの方が強いらしい。普段は強気な態度を崩さないルフが情けない顔をしている。その二人を見詰め思わず微笑んだフィンに気付いたカイに微笑まれて、フィンは思わず下を向いた。
「午後からは釣りで勝負と行こうぜ、カイ」
 そのフィンを普段通り無視したルフが、ベンチに座ったカイに声を掛ける。
「いや。……疲れたから、午後は休むよ」
 心なしか、昨日よりも青白く見えるカイの顔に、フィンは無意識に首を横に振った。……ダメだ、彼に好意を持っては。
 その気持ちのまま、逃げるように屋敷を去る。
 だが。その日の夕方、屋敷を差配する家令に呼び出されるがままに、フィンは再び屋敷の門を潜っていた。
「どうして、急に……」
 いつになく取り乱したルフを小さく見詰めてから、贅を凝らした客間に入る。帳の下りたベッドに横たわっていたのは、フィンの予想通り、整ったカイの微動だにしない身体だった。血の気を失ってもなお精悍さを失わない、まだ滑らかな額に、そっと触れる。唇に触れ、息が無いことを確認してから、フィンは家令に支えられてようやく立っているルフの方を向き、首を横に振った。
「そんな……」
 今朝は、テニスで自分を打ち負かすほど元気だったのに。床に頽れるルフに、胸を突かれる。気分が悪いからと昼食後に部屋に戻り、ルフが釣りから帰ってきたときには既にこの状態だった。嘆くルフの言葉を背に、フィンは逃げるように屋敷を後にした。

 日の光が無い、村を囲む森の奥深くまで歩き、苔生した地面に倒れ込む。
 涙は、出て来ない。心に有るのは、自責の念。
 フィンは、人がこの地に現れる前からこの地に居た精霊。好感を持ってしまったものの命を奪ってしまうのは、生まれついてのフィンの宿命。その運命を受け入れた上で、これまで生きてきた、つもりなのに。
 眠っているようにしか見えなかった、カイという名の青年の死顔が、脳裏を過ぎる。冷たい地面に身体を預け、フィンはただ静かに、昨日僅かに触れた青年の細く温かい指の感覚を思い返していた。

(終)
2015.10.19.  風城国子智(作者の現状と若干の注意)

WindingWind 風城国子智