後姿

  車がほとんど通らない県道を、私の車は快調に飛ばしていた。
  天気は上々、景色は抜群。ただ惜しむらくは、このドライブの後にはめちゃくちゃ退屈な授業が待っているというどうにもならない事実があること、であろうか。
〈ま、いっか。今日は早く帰れるもんね……〉
  アクセルをぐっと踏んで急な坂道もなんのその。……といっても、すぐに下り坂になるので、踏みすぎには十分気をつけなくてはならないが。
  下り坂をエンジンブレーキとフットブレーキを適当に使い分けて下りながら、私はちらっと時計に目をやった。
〈今日は、いるかな……?〉
  この下り坂の後の片道一車線の上り坂が、片道一時間の自動車通学の中で一番楽しみなところなのだ。何故かというと……。
〈あ、いた〉
  上り坂の始めのカーブを曲がったところで、一生懸命自転車を立ち漕ぎしている黒いジャンパーを羽織った人がずっと前方にいるのを見つけた。
〈あれは絶対あいつだろーな……〉
  少しずつアクセルを踏みこみながら、私はそう考える。毎日見ているから、ちょっと見ただけであいつかそうでないかなんてすぐ分かる。
  坂にもかかわらず、車は少しずつスピードを上げ、自転車との距離がみるみる縮まる。危ないので、対向車が来ないのを確認して中央線のほうへ寄る。
  あいつの後ろ姿がかなり近くまで迫ってきた。上体を前に傾け、肩で息をしながら漕いでいる。
〈ふふっ、あいつ、今日も頑張るなあ……〉
  ちょっぴりの優越感を持ちながら、私はアクセルをちょこっと踏む。たちまち自動車は自転車を追い越し、バックミラーにあいつの乗った自転車が映る。
〈あいつ、どんな顔してるかな……?〉
  そう思ってバックミラーを見ても、顔の輪郭が薄ぼんやりと見えるだけ。だからといって振り向いたところで、私の車の後ろの窓には網が張ってあるので絶対見えない。第一、運転中に後ろを向くなんて危なすぎる。
  私はふうっとため息をつくと、また運転に集中した。
  自転車を抜いて坂を上りきると、もう大学は目の前である。

  大学では、講義のときも演習のときも、必ずあいつは私の前に座る。
  別に私がわざとやっているわけではない。一年のときからの習慣で、今では違う席に座ると違和感を感じるようになっているだけなのだ。しかしながら、その結果、私はずっとあいつの後ろ姿だけを見ていることになる。
  成績は私より上だし、私がやっとのことで解いて黒板でやろうとした演習問題を先にすらすらとやってしまうところなんかはちょっとしゃくにさわるけど、一生懸命勉強しているあいつの後ろ姿を見ていると、何だか温かい気持ちが心の中に広がっていく。
  でも、大学であいつに声をかける勇気は、私には、ない。あいつはいつも男どもとつるんでいてとても楽しそうだし、第一、『男の人と一対一でつきあう』という恋愛感覚(?)が私には全然ないのだ。

  あいつがあの坂を上って登校していることを知ったとき、何となくうれしい気分になったことを覚えている。
  あいつは毎日、判で押したように同じ時刻にあの坂を通る。私が少し遅くても、少し早くても、あいつには会えない。
  でも、追い越すときにクラクションを鳴らしたり、わざとすれすれまで近づいたりなんかはしない。そんなことができる技術がない、といったらそれまでだが、私自身、気づかれたくないという気持ちがあるし、追い越す、という行為自体を楽しんでいるだけではないのか、という気持ちもあるからだ。
  今日も私は、少しわくわくしながら、あいつを追い越す。
  自分の気持ちが、全然分からないまま……。

(終)
2002.12.9.  風城国子智(作者の現状と若干の注意)

WindingWind 風城国子智