道の向こうにあるものは

 トントンと近づいてくる軽い足音に、頭より先にお尻を上げる。
「あ、コウサですにゃ!」
 しかし、降りてきた聞き知った声に、コウサはほっと息を吐いてその小さなお尻を元の冷たいコンクリートの階段に乗せた。
「なにしてるですかにゃ?」
 すぐに、白いお下げがコウサの視界に入る。顔を上げると、サーモンピンクの帽子を被った、鋭いのに優しげな顔があった。コウサの隣に住んでいる、コネコビトのお姉さんだ。
「コネコはお散歩に行くのですにゃ」
 見せびらかすようにサーモンピンク――コネコは『お魚色』と呼んでいるが――の帽子を頭から外してコウサに見せながら、コネコが嬉しそうに笑う。コネコが持っている帽子は、コウサが一緒に暮らしている人間、おさとさんが作ったものだと、コウサにはすぐに分かった。
「コウサはお絵かきですかにゃ? おさとさんはどうしたのですかにゃ?」
 毎日の仕事が忙しすぎるのか、コウサがニンゲンになる為の手助けをしてくれている人間の女の人『おさとさん』は、休みの日は常に部屋で寝ている。ぐっすりと眠っているおさとさんの邪魔にならないよう、コウサはスケッチブックと色鉛筆を手に部屋を出て、アパートの階段の一番下に陣取って絵を描いていた。勿論、部屋の戸締まりは忘れていない。
「白と黒と灰色しかありませんにゃ」
 そのコウサのスケッチブックを覗き込んで、コネコが端正な顔を顰める。風も無いのに、白い髪に隠された小さな耳が揺れた。
「楽しくないですにゃ」
 そんなこと、言われても。戸惑いながら、アパートの入り口でもある階段室の一番下から見える景色をぐるりと見回す。コウサに見えるのは、階段室の白っぽい灰色と、アパート前に設えられた駐車場の濃いアスファルト色、そして白い網の柵の向こうにある、車がすれ違うのもやっとな道路の薄いアスファルト色と、その向こうの黄色っぽい灰色のブロック塀だけ。お天気の良い休日らしく、アパート前の駐車場には車一台残っていない。灰色と、白と、黒、それだけしか、見えない。本当は、……緑の木々や様々な色の花々が描きたいのに。
「色鉛筆がもったいないですにゃ」
 おさとさんが買ってくれた24色の色鉛筆をつつきながら、コネコが言う。しかし、ここから見えるのは、どう見ても白と灰色と黒だけ。他の色は出番が無い。部屋に戻って眠っているおさとさんの横にぴったりとひっつこうか。コウサがそう思った時。
「少し歩けば、小さい花壇があるのですにゃ」
 思いがけないコネコの言葉に、びくっと身を震わせる。
 コウサ達が暮らすアパートから少し歩くと、片側一車線の道路がある。その道路には大きめの歩道が付いていて、コウサが初めてここに来た時には街路樹が規則正しく植わっていたが、最近、その街路樹は全て切り取られてしまい、木のあった場所は全て黒いシートで覆われてしまった。だが、道路の向こうには花好きの人が居るのか、歩道の小さなその空隙の一部が小さな花壇になっているのを、コウサはおさとさんと歩いている時に遠目に見て知っている。但し、その花壇へ行く為には、びゅんびゅんと途切れなく車が走っている道路の、信号機の無い横断歩道を渡らなければならない。震えながら、コウサはスケッチブックをぎゅっと抱き締めた。
 まだコウサビトになる前、コウサが暮らしていた小さな柵のすぐ側に車が突っ込んできたことがある。頑丈な柵をぐしゃぐしゃに破壊し、コウサのすぐ側まで迫ってきたその圧倒的な鉄の塊のことを思い出す度に、コウサの震えは止まらなくなる。その塊がたくさん、目にも留まらぬスピードで走っている場所に行くのは、怖い。コウサはコネコに向かって首を強く横に振った。
「大丈夫ですにゃ」
 スケッチブックを強く握ったままぶるぶる震えるコウサの手を握りながら、コネコが笑う。
「コネコがついてますにゃ」
 そしてそのままコネコは、半ば強引にコウサの手を取ると、反対の手で色鉛筆の箱を掴み、コウサを立たせるなり先に立って歩き出した。温かいコネコの腕に引きずられるように、早足で歩く。だんだんと大きくなってくる車の走行音に、コウサの小さな足はがくがくと震えた。
 すぐに、件の道路に辿り着く。道向こうの歩道の縁石越しに、緑色の細いものが揺れているのが見える。しかしそこへ行くには、車が多すぎる。
「これを使えば良いって、前にここに立っていたおじさんが教えてくれたのですにゃ」
 横断歩道の横に差してある黄色い旗を一本、コネコが取り出す。だが、コネコが振る黄色い旗を、走る車は悉く無視した。
「がまんですにゃ」
 諦めた方が良いのではないか。そう、スケッチブックに書こうとしたコウサに、コネコが再びにっこりと微笑む。
「まてばかいろのひよりあり、って、職場のおばあさんが言ってましたにゃ」
 コネコの粘りが効いたのか。車が一台、横断歩道の直前で止まってくれる。止まった車に丁寧に会釈するコネコに引っ張られるままに、コウサも首だけ会釈してから横断歩道に足を踏み入れた。
 道路の真ん中で一度止まり、反対車線から車が来ないことを確認してから、横断歩道を渡り切る。横断歩道のすぐ横に設えられた小さな花壇には、花びらが大きな背丈の低い花が、強い風に煽られながらもしっかりと咲いていた。
「これ知ってますにゃ。三色菫って言うのですにゃ」
 コネコの言葉に、揺れている花々をじっと見詰める。花壇に植わっているどの花も、花びらの色は二色しか無い。何故そういう名前なのだろうか? 帰ったら様々なことに詳しいおさとさんに聞いてみよう。コネコと花々を交互に見ながら、コウサは側の道路を走る車の音と怖さを忘れて首を傾げた。

※「コネコビトシリーズ」は相沢ナナコ様(Twitter: @nakotic)によるシェアワールドです。

(終)
2014.7.28.  風城国子智(作者の現状と若干の注意)

WindingWind 風城国子智