戦いの時代

 眼下の無惨な光景に、溜め息より先に舌打ちが出る。
 獅子王はもう一度、崖下をぐるりと見回すと、それでも昂然と顔を上げ、近衛兵を大声で呼んだ。
「まだ息の有る者の救助は、進んでいるか?」
 王の問いに、目の前の近衛兵が口の端を引き結んでから首を横に振る。王自身が選抜した、文武に優れた者達が近衛兵なのだから、彼らの仕事が遅い筈がない。生存者が、ほぼ居ないのだ。近衛兵から目を離し、もう一度崖下を見た王の口から漏れたのは、またしても舌打ちだった。
 大陸西部、女王が治める古き国と、獅子王が治める新しき国とが隣り合う地帯。二つの国が並立していた時代も今は昔、かつて古き国が支配していた地域の殆どは獅子王の支配下となっている。古き国の支配する範囲は既に、由緒ある古き都とその周辺のほんの狭い範囲のみ。獅子王が今、馬に乗って立っている、小川に削られてできた谷の向こうに見える峻険な山々の更に向こうにあるのが、その古き都であることは、王のみならず新しき国に所属する兵士全てが知っていること。古き国の命運は後僅か。川有り谷有り山有りのこの難しい場所を突破し、ここからも望める、都の背後を守る小さな砦を屈服させなくとも、都の正面から堂々と降伏を要求すればこちらの被害は微小であることは、考えなくとも分かる。なのに何故、この国境地帯を守っていた将軍は、小さな砦を攻める為に危険も顧みず谷に掛かる吊り橋を大軍で渡ろうとした? その馬鹿の所為で、この様だ。大軍が渡ろうとした吊り橋が途中で切れ、橋の上にいた兵達は全て、折から増水していた川に投げ出された。自軍の兵が累々と横たわる崖下を見詰め、王は三度目の舌打ちをした。
「王」
 呼ばれて、振り返る。
 三人の近衛兵の間に、かつては美麗だった鎧を身に着けた男が項垂れて立っていた。
「この場所の守備についていた将軍を捕らえました」
 指揮をした将軍の姿は崖下には見当たらなかったとの報告は、近衛兵から受けていた。その怯懦な司令官を捜して来るようにとの命令を、近衛兵達は忠実に果たしたようだ。
 震えている男の、胄に付けられたよじれた羽飾りを、一瞥する。かつての司令官は怯えた目で王を見、そして勝手に喋り始めた。
「し、仕方がなかったんですっ! ま、町で、王と王の軍を馬鹿にされたのですからっ!」
 どうやら、この谷川の下流にある商人の町において「古き都の背後にある小さな砦すら落とせぬ無能な軍」とかという噂を聞いたこの将軍が一人で激高し、無茶な行動に出たらしい。馬鹿か、こいつは。それが、王の正直な感想。そんな噂など、普通は放っておくものだ。まあ、こんな無能な奴を司令官にした俺の責任も、あるのだろうが。そこまで考えて、王はふっと息を吐いた。国自体が急激に大きくなった所為か、王自身に人望が無い所為か、有能な人材が足りていない。有能な騎士が、もう少し手元に居れば。そう考えた獅子王の脳裏に浮かんだのは、不敵な笑みを浮かべた小柄な青年。そう、あいつのような奴が。
 それはともかく、今は。
「都で縛り首にしろ」
 なおも弁明を繰り返す男を取り押さえる近衛兵達にそう言うと、王は馬の背を蹴って谷川の下流へと向かった。


 増水していた所為か、倒れている自軍の兵の数は川を下ってもあまり変わらないように見えた。
 その光景に舌打ちを我慢しつつ、対岸を見る。都の背後を守る砦は、既に見えない。だが、狼の横顔が刺繍された軍旗を持った小さな影が対岸の崖をうろうろしているのが、王の目に映った。
 あの旗は。思わず、声が出そうになる。そしてあの影は見覚えがある。確か彼の騎士の従者だった者、だ。と、すると、砦を守っていたのはあいつか? そこまで考えて、王は諦めに似た笑みを浮かべた。あの騎士なら、噂を流すことも、吊り橋に仕掛けを施すことも、顔色一つ変えず行うだろう。
 古き国には、古くからの騎士団が三つある。女王を守る「竜」、戦闘を担う「熊」、そして探索を主たる任務とする「狼」団。現在、その「狼」団の騎士団長を務めているのは、まだ若い、一見しただけでは騎士にすら見えない小柄でほっそりとした青年だった。だが見かけに騙されてはいけない。この若き騎士団長は、悪辣な盗賊だろうが、魔法使いが作ったゴーレムだろうが悪霊だろうが、的確な計略と部下への適切な戦闘指示、そして自らの剣の力で容赦なく殲滅する、正義感と冷静さを併せ持つ人物であった。
 彼の騎士と、王との出会いは、全くの偶然。新しき国の辺境地帯を荒らす暴れ竜を退治するのに難儀していた王の前に不意に現れ、王の近衛兵でさえ退治できなかったその竜を、王の目の前で屠ったのだ。彼の騎士が指揮する古き国の戦士達も勿論善戦していたが、部下である戦士達への指示といい、本人の剣の技といい、殆ど彼の騎士が一人で退治したようなものだった。
「私のものになれ」
 竜を退治し、剣を下ろして一息つく彼の騎士に、王は確かにそう言った。だが、彼の騎士は、王を見上げ、唇を引き結んだまま首を横に振った。
 それから、王は何度か、彼の騎士を見かけた。ある時は戦場で、またある時は新しき国と古き国の国境地帯で。新しき国の都近くで見かけた時は流石に、王自身の喉元すら狙うことができると暗に示されたように感じ、胸が冷たくなったが。
 彼の騎士に逢う度に、王は何度も同じ言葉を口にした。そしてその度に、同じ否定を、彼の騎士は返した。その返答の理由は、古き国への忠誠か、それとも獅子王を嫌っていたからだろうか。そこまで考えながら対岸を見詰めていた王は、従者の様子がおかしいことに今更ながら気付いた。崖下を覗き込んで首を横に振っている。……まさか。
 馬の腹を強く蹴る。すぐに、王の目は、少し下流のこちら側の岸辺に横たわる件の騎士を捉えた。
 馬から下りて崖を下り、騎士の横に膝をつく。幸い、かなりの距離を流されているにも拘らずまだ息は有る。怪我は酷いようだが、王の近衛兵の中にいる腕の良い回復専門の魔導士に診せればたちどころに良くなるだろう。王は笑みを浮かべると、騎士の小柄な身体を抱き上げた。
 と。胸に強い、叩かれたような痛みを感じ、思わずよろめく。王の腕の中で意識を取り戻した彼の騎士が、王から逃れる為に王を突き飛ばしたのだ。それを理解するまでに数瞬掛かった。
 次に王が感じたのは、強い怒り。その怒りのままに、王は腰の剣を抜くと、地面に落ちて再び気を失った彼の騎士の、無防備に晒された白い首筋にその切っ先を叩き込んだ。


 動かなくなった彼の騎士を再び抱き上げ、崖を昇る。
 この亡骸を古き国の都の前に晒せば、古き国の戦意は喪失する。そのくらい、信頼されている騎士なのだ。
 まさか。ふと脳裏に浮かんだ思考に、思わず首を振る。まさかとは思うが、こいつは、古き国がこれ以上傷つくのを避ける為に、俺を拒絶したのではないだろうか? その考えを振り払うように、王はもう一度、首を強く横に振った。いや、こいつはただ、俺が嫌いだから俺を拒絶しただけだ。そうに違いない。だが、強く否定しても、疑念は晴れない。
 まあ、良い。考え方を変えるように、ふっと息を吐く。その位の計略なら、乗ってやらないこともない。それがこいつの最期の計略だとしたら、尚更だ。
 抵抗しないその身体を、王は無意識に強く、抱き締めていた。

(終)
2014.1.27.  風城国子智(作者の現状と若干の注意)

WindingWind 風城国子智