いつか裏切る世界のために

 西洋風ファンタジー。
 苛められ、無視された場所から逃げ出した少年ラッセが出会ったのは、十年ほど前に、大陸を支配する皇国によって滅ぼされた北方の島国『銀鉄の国』に暮らす人々の特徴である血の気のない肌と、その銀鉄の国を守っていた騎士の証である『羽を模した留め金』を持つ、ネイという名の、ラッセと同い年にみえる少年。十年もの間『奇跡の子等』以外の子供が生まれていない大陸と銀鉄の国、その世界を旅するラッセとネイが、最後に辿り着いた結論は。

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 森が平原に変わる、その境目に見つけた小さな洞窟に、ザインとイーア、そして子供さらいから助けたもう一人の女の子を落ち着かせる。ネイが手早く作った、甘い匂いのする薬草湯を飲んだ子供達三人は、すぐに、落ち着いた眠りへと落ちていった。
「……『許す』って、どういうこと、なんだろうね」
 子供達の側に灯した焚き火の向こうで、ネイが息を吐いたのは、洞窟の外が十分暗くなった後。洞窟の入り口に灯した小さな炎を見詰めるネイの肩には、血が滲んだ跡が見える。だが矢傷の方は、既に痛みは無いらしい。あくまで静かに呟き続けるネイの上着にべっとりと染み付いた黒に、ラッセは焚き火の方へと視線を移した。
「『許す』って、難しいね」
 昼間ラッセ達を襲ったならず者は、かつてギードの両親を無惨に殺した者達。その者達から逃げ出したギードをネイが見つけた際に何人かは討ち果たしたが、一人では人数が多すぎて全員は討てなかった。ギードがあのならず者に飛びかかってくれたから、ネイもラッセも、子供達も助かった。力の無い、ネイの言葉に、ラッセの胸は鈍く締め付けられた。
 と。
「外が、騒がしいな」
 洞窟の外に広がる、厚い灰色の雲が掛かる空を見上げたネイが、唇を横に引き伸ばす。そのネイに釣られるように外を見たラッセの顔を、何処か生温かい風が拭った。
「ついてきて」
 言われるままに、立ち上がる。
 洞窟を出、森の方へと戻るネイの、ゆらゆらと揺れる背を、ラッセは無言のまま、追った。
 しばらく歩いて、ギードを葬った、少し明るい場所に出る。その場所で立ち止まると、ネイは腰から短剣を一振り抜き、ラッセに手渡した。
「これが必要にならなければ、良いんだけど」
 ネイから渡された短剣の刀身を、僅かな月明かりに晒す。ラッセの喉元に突きつけられた、黒色を持つ歪んだ刃。金属とは異なる、鋭敏な光を湛えたその刃から、ラッセは無意識に視線を逸らした。
「『破邪』の刃」
 そのラッセに、もう一振りの、銀の刀身を持つ短剣をネイが示す。
「こっちは、『退魔』の刃」
 そして再び、ネイは、森の方に向かって歩き出す。そのネイの背を、ラッセは再び、追った。
 しばらく歩くと、微かな腐臭が鼻を突く。あのならず者達を放置した、ギードが死んだ場所。動物ではない何かがラッセの足下を通った気配に、震えが、ラッセの背中から首筋へと這い上がった。
「一歩下がって」
 そのラッセの足下に、ネイが、銀の刃で一本線を引く。
「ここから、出ないで」
 ネイの強い声が、ラッセの耳に響いた次の瞬間。ネイの背後で、倒れていたはずのならず者達が動く。闇色のマントをまとったような、切り裂かれたままの姿をしたそのならず者の成れの果てを、ネイは振り向きざまの一動作で一体、突き刺した短剣を抉るようにして屠った。低い姿勢のまま、ネイは、残りの二体も次々と、短剣の一突きで地面に沈める。その鮮やかな剣捌きに、ラッセは思わす感嘆の声を上げた。だが。最初に倒れたならず者の死体から、闇より深い色の『影』がゆらりと立ち上がる。ラッセが瞬きをする間に、その影は、最後のならず者を倒して息を吐くネイの華奢な身体をぐるりと覆った。
「ネイっ!」
 『影』の向こうに見えるネイの、深淵よりも深い瞳が、ラッセを射る。ふわりと軽く、しかし目にも留まらぬ速さでラッセに覆い被さってきたその『影』を、ラッセは無意識に身を低くしてかわし、そして『影』の真ん中に手の中の漆黒の刃を突き刺した。
 そのラッセの動作で、『影』は四散する。ラッセの前に残ったのは、黒の刃を胸に受け、身動き一つしないネイの、仰向けに倒れた姿。
「ね、ネイ……?」
 ラッセが作った傷から迸る、黒い血が、ネイの身体とその下の地面を暗く染める。叫び声すら、出て来ない。腰を抜かしたまま、ラッセはくるりとネイに背を向け、そして全てから逃げ出した。

 はっと、目を覚ます。
 洞窟のものらしい、ごつごつとして少し明るい天井が、ラッセを優しく出迎えた。
「ラッセ、目、覚ました」
 そのラッセの耳に、聞き覚えのある賢そうな声が響く。これは、……ザインの、声だ。冷たい感覚が、ラッセの全身を支配する、その前に。
「良かった」
 ラッセを見下ろすザインとイーアの、心配そうな瞳の後ろから、聞き覚えのある声が響いてくる。続いて視界に入ってきた、ここにいるはずのない人物の血の気が見えない顔に、ラッセが感じたのは、胸の温かさ。
「寝ていた方が良い」
 起きあがろうとしたラッセを、ネイの細い腕が制する。
「また、熱が出ている」
 薄い毛布を敷いただけの冷たい地面に横になったラッセに薄い毛布を掛けてくれるネイの、その小さな手を、ラッセはただただ呆然と、見つめた。
 馬車を引く驢馬を得る手段が無く、ザインの故郷までは歩いていくしか方法が無い。ラッセの熱が下がるまで、当分ここで野宿だな。ネイの言葉にぶーぶーと文句を言う、新参の女の子の声を、夢現に聞く。昨夜のことは、全て、夢、だったのだろうか? 子供達を宥めるネイの、華奢な背に、ラッセは首を横に振った。いや、あの黒の刃から伝わってきた、肉を断つ生々しさは、……本物だった。
 だが。では、なぜ、致命傷を負ったはずのネイは、今、ここに、……生きている? 疑問だけが、ラッセの脳裏をぐるぐると、回っていた。