『魔導書』に転生した俺と、あいつとの日々。

番外編 祝福の言葉を、言い忘れて

 既視感のある場所に、非日常が混ざっている。
 思わぬ光景に、トールは思わず目を瞬かせた。
 この、場所は。首を傾げる前に、思い出す。確か、トールの家の近所にあった、少しだけ大きな神社。中学校から、サッカー&フットサルクラブがある小さなグラウンドへの道筋にあったから、ほぼ毎日、見慣れていた場所。そして。古びた神社の正殿に向かって歩いている、あの二つの影は、……小野寺(おのでら)と、伊藤(いとう)。綿帽子で顔を隠している小野寺は、白無垢の打ち掛け姿。らしくなく緊張した面持ちの伊藤は、黒羽織に濃灰色の袴姿。結婚式だ。その単語を理解したトールの胸に去来したのは、一陣の冷たさ。
「文乃(あやの)、似合ってる」
「伊藤、絶対緊張してるぜ」
「後で茶化してやろう」
 小野寺なら、教会でウエディングドレスを着た方が、スレンダーな肢体には似合っていただろうに。いや打ち掛け姿も清楚で可愛いけれども。しずしずと歩く二人を見守る、トールも見知っているサッカー&フットサルクラブや学生時代の友人達の小声を聞きながら、息を吐く。なぜ、こんな小さな神社で、結婚式を? 友人の多い伊藤なら、皆が祝福できる派手な式の方が、良いような気がする。ぐるぐると巡る自分の思考に、トールは思わず笑ってしまった。結婚式のことは、両親や地域の事情もあるが、最終的には結婚する二人が決めること。トールが口出しすることでは、ない。
 小野寺と、伊藤、二人が結婚できて、良かった。胸を撫で下ろすトールと、泣きそうになるトールが、せめぎ合う。小野寺と伊藤とは、小学校四年の時にトールがこの町に引っ越してきてからの付き合い。小学校は別だったけれども、中学校も、高校も、大学も一緒だった。そして。学部が違う所為か、大学に入ってから少しずつ小野寺とのすれ違いが続いていた伊藤に、小野寺へ好意を伝えるようアドバイスをしたその日の夜、トールは、不注意運転のトラックにはねられて命を落とした。二人との縁は、永遠に切れた。……はずなのだが。
「トール!」
 鋭い光に、目が眩む。
 閉じてしまった目を再び開くと、トールを見下ろす紅い瞳が見えた。
[サシャ]
 再び、身動き一つ取れなくなってしまったトールの側にしゃがみ込んだサシャと、サシャが持つカンテラの、小さな光を強くする磨き込まれた金属板に、小さく微笑む。何の因果か、トラックにひかれて命を落としたはずのトールは、『祈祷書』と呼ばれる『本』に転生し、サシャという名の頑張り屋の少年と共にこの異世界を駆け回っている。
「おいてけぼりにしてごめんね」
 落ち込んだ表情のサシャが、地面からトールを拾い上げる。
[良いって]
 古代人が作り上げた遺跡の中は、暗い上に複雑。迷って出られなくなってしまった研究者も多いと聞く。サシャがちゃんと探しに来、そしてトールを見つけてくれたことこそ、奇跡。定位置であるサシャのエプロンの胸ポケットに収まり、トールは今度は大きく笑った。小野寺と伊藤の結婚式も、見ることができたし。
 そう言えば。ランタンを掲げ、慎重に歩を進めるサシャの鼓動を聞きながら、小さく叫ぶ。あの二人に「おめでとう」を言うのを忘れていた。
[……まあ、良いか]
 古代人の遺跡には、転生者に、転生前の世界の『幻影』を見せる『力』があるらしい。偶然あるいは必要に迫られる形で、サシャと共に入り込んだ遺跡での出来事を一つずつ思い返す。サシャと一緒に遺跡を調査していれば、そのうち、また、二人が結婚式を挙げる現場を見ることができるだろう。「おめでとう」は、その時に言えば良い。



 神社の正殿に足を掛けたところで、着物の袖が強く引っ張られる。
 文乃が、打ち掛けの裾に足を引っかけたか? 慌てた心で隣の文乃の綿帽子の方を向く。司(つかさ)以外おそらく誰も気付いていないが、文乃は意外におっちょこちょいな部分がある。だが、司の思考は、大きく外れた。
「山川(やまかわ)君、いた!」
 顔を上げ、紅潮した頬を見せた文乃が、再び、司の着物の袖を強く引く。
「どこに?」
「サッカークラブの友達の後ろ」
 誰にも見咎められないよう、小さな声で尋ねると、小さな声がすぐに返ってきた。
 確かめるように、辺りを見回す。正殿に入ってしまっているから、友人達の姿は既に見えない。でも、文乃が「いた」と言っているのだから、きっと透も、二人の結婚を見守ってくれているのだろう。
 温かさが、司の胸に広がる。
 文乃に好意を伝えることを躊躇っていた司の背を押してくれたのは、小学校の時から一緒にいた透。透がいたからこそ、現在の司と、文乃がいる。だから。
「ありがとう」
 透の祝福が、嬉しい。
 誰も居ない空間に、司は小さく、頭を下げた。